浅田真央のソチ五輪フリー感涙にキム・ヨナの示した意外な姿とは!?

スポーツ選手

浅田真央選手が現役引退覚悟で臨んだ2014年ソチ五輪。「五輪という最高の舞台で、集大成のいい演技ができるようにしたい」という思いを胸に抱いていました。

初日のショートプログラムでは原因不明の不調による転倒が続き、まさかの16位スタートとなってしまいます。しかし、翌日のフリースケーティングでは、「伝説のフリー」と言われる程素晴らしく、浅田真央選手自身も感涙してしまう演技を披露してくれました。

実は、バンクーバー五輪から4年間かけて準備してきたソチ五輪に向かうまでは華々しいことばかりではありません。その背景にあったのは、大きな苦悩を越えたソチ五輪での演技であったとも言います。その背景にあったものとは何か。

そんな浅田選手の姿に、同年代のライバルと言われたキム・ヨナ選手が示した意外な姿もあり、どんなことがあったのか?

今回は、浅田選手がソチ五輪で感涙した訳と、キム・ヨナ選手が示した意外な姿について見ていきましょう!

「ソチ五輪で集大成のいい演技をしたい」背景にあったものとは

浅田真央選手はソチ五輪前に、「五輪という最高の舞台で、集大成のいい演技ができるようにしたい」という思いを語っていました。それには、4年前のバンクーバー五輪での悔しさがあったからです。

4年前のバンクーバー五輪では同年代のライバルと言われ続けたキム・ヨナ選手に破れ、ジャンプがうまくいかなかったことに加え、思ったような点数がもらえず悔しい思いをしていました。結果は2位で準優勝しましたが、点数があまりにも低かったからか、インタビューの時には涙を流してしまいます。

引用元:https://otsukyon.at.webry.info/【バンクーバー五輪で悔し涙を見せる浅田選手】

そこから4年後のソチ五輪へ向けて準備を始めた浅田選手。しかし、ここからうまく行かないことが立て続けに起こってしまうのです。

まさかのコーチ不在

バンクーバ五輪まで指導してもらっていたロシアのタラソワコーチは、浅田選手に日本人のコーチの師事を勧め、契約を終了しようとしました。タラソワコーチの家庭内の健康に問題があったとのことで、コーチ自身がロシアを離れられないとのことでした。そして、コーチ不在の時が数ヶ月続くことになってしまいます。

しかし、この時タラソワコーチに働きかけたのが浅田選手の母・匡子さんだったと言います。タラソワコーチに娘である浅田選手を指導してほしいと懇願の手紙を書いて、それがタラソワコーチの心を強く揺れ動かし、総監督という立場で浅田選手の振り付けを担当することになったのです。

結果として、2011年8月に佐藤信夫コーチの就任が決まることになりました。そこからソチ五輪まで、スケートの基礎を中心にやり直したとのことです。

母の急死

遠征するにはいつも母の匡子さんが一緒になって歩いていました。「メダルをとった時には一番に見せてあげたい!」と言えるくらい、浅田選手にとって母は大きな存在でした。そして、いつも厳しくも、温かくも見守ってくれていたとのことです。

引用元:https://orionfdn.org/asadamao-mother/【浅田選手の母:匡子さん】

しかしそんな大好きだった母が、2011年12月に急死してしまいます。原因は肝硬変だったそうです。

浅田選手のコーチ不在時にも自らタラソワコーチに直筆の手紙を書いて懇願したり、それまでも浅田選手の環境を整えてきたのも母の匡子さんだったと言います。見えないところで、浅田選手に最高の環境を与えてくれていたんですね。

そんな母の生前に、浅田選手は常に母にかけていた言葉がありました。

「メダルは一番にお母さんに見せたい!」

そうやって今までの数ある大会で活躍しては、メダルを獲ると一番に母に見せていたと言います。しかし、虚しくもソチ五輪で叶うことはなくなってしまいましたが、当時21歳という若さでありながらも次のソチ五輪へ向けて気持ちを切り替え、浅田選手は懸命に金メダル獲得を目標に努力していきました。

ソチ五輪フリーでの涙のわけ

大きな変化をもたらしたソチ五輪までの4年間。このソチ五輪は大きな苦悩を乗り越えて迎えた五輪でもあります。

ですので、誰よりもソチ五輪にかけた思いは大きかったのではないでしょうか。そして、浅田選手自身も言葉に表すことができないほど、悲しみや苦しみを乗り越えた4年間の準備期間だったのかと思います。

「何も分からない」ショートからフリーまでの間

亡き母に「一番にメダルを見せたい」と浅田選手はそう強く思い、ソチ五輪のスケートリンクを滑走します。

初日がショートプログラム、翌日がフリースケーティングです。浅田選手が高得点を獲れる可能性のあるショートプログラムに期待がかかります。しかし・・・。

「(自分でも)何も分からなかった」とまさかのミスを連発してしまい、ショートプログラム16位という結果を残してしまうことになりました。翌日のフリースケーティングで巻き返しても、優勝を狙うのは難しい順位です。

ショートプログラム終了後に浅田選手がロッカールームからなかなか帰らなかったそうです。それを心配した佐藤信夫コーチが迎えに行ったと言います。そして翌日の朝も気持ちはまだ切り替えられずに、珍しく朝寝坊をし、朝ごはんも食べずにスケートリンクにも遅れて登場したと言います。気持ちが整うまでにも時間はかかり、原因不明の気持ちが浮ついたまま浅田選手がスケートリンクに戻ってきました。

引用元:
http://www.asahi.com/sports/gallery/

普段は声を荒げない佐藤コーチでしたが、この日ばかりは浅田選手が滑り始めるまで叱咤激励をしました。

「朝の練習は気合いを入れろ!」

我にかえり始める浅田選手は、徐々に自分の気持ちを取り返し始めます。そして、フリーの演技が始まる滑走前にも佐藤コーチは浅田選手に安心する言葉を投げかけたそうです。

「真央が倒れたら止められてでも僕が必ず助けに行くから」

その言葉を受けて、浅田選手はホッと安堵した気持ちと、不調な自分の気持ちに打ち勝って、フリーの演技に向かうことができました。

目指してこれたフリーの演技で見せた感涙

失意のどん底から21時間が経ち、浅田選手は自分の気持ちを切り替えることができました。そして、この4年間ずっと思い描いていた集大成のフリーの演技に気持ちを向けます。そして、いよいよフリーの演技が始まります。

浅田選手の代名詞とも言われる、難易度の高いトリプルアクセルを、さっそく曲の序盤で見事に成功させます!すぐに会場からは歓喜が響き渡ります。

引用元:https://www.nikkansports.com/sports/photonews/【トリプルアクセルを決める浅田選手】

そして、流れるようなスケーティングで用意していたジャンプを次々とこなしていきます。用意していたのは6種類のジャンプで、それを見事クリアしていきます。そして女子史上初と言われた「全6種類、合計8回の3回転ジャンプ」を見事に成功させたのです!

フリーの演技の得点も、自己ベストである142.71点を叩き出したのです!

この4年間の乗り越えた苦悩の先にあったのは、諦めずにジャンプに挑み続けたことはもちろん、浅田選手が目指してきたノーミスで踊るというソチ五輪でのフリーの演技でした。

そして、曲が終わり最後のポーズを決めると、浅田選手は肩を揺らし始めます。天井を見上げながら、感涙した姿を見せていたのです。そして、しばらくすると、胸に手を当て、会場の四方に向かってお礼の挨拶がありました。

その姿には、会場にも大きな歓声と大きな感動があったと言います。ここまでの感動のあるスケーターはいなかったと。これこそが浅田真央の真の姿であり、二度と見ることはないであろう「伝説のフリー」であったのです。

キム・ヨナが見せた浅田への意外な姿

同年代のライバルとして10年間以上もずっと一緒に戦ってきた戦友のキム・ヨナ選手。バンクーバー五輪ではキム・ヨナ選手が優勝、浅田選手が準優勝と、常に世界のトップ争いを続けてきた2人。実は、その2人がこのソチ五輪を集大成の場として考えていたのです。

浅田選手のフリーの演技終了時に見せた涙をキム・ヨナ選手も見たと言います。

しかし、今まではライバルとして戦い、メディアの目もあるということで、いつしか2人で会話を交わすこともなくなっていたと言います。キム・ヨナ選手が浅田選手に対し、「真央には失敗してほしい」とコメントしたりと、勝つための相手と意識してきていたはずです。

引用元:https://www.youtube.com/【浅田選手会見中に携帯をいじるキム・ヨナ選手(左)】

それ以外にもキム・ヨナ選手が浅田選手をライバル視してからなのか、幾度となくメディアやネットを騒がせてきたこともありました。以下のコメントがキム・ヨナ選手がメディアの前で発言、行動してきたものです。

  • 「6分間公式練習の時、日本人選手が練習の妨害をしてくる」
  • 「真央が同年代でなければ、私(キム・ヨナ)が輝けるのに」
  • 浅田選手の会見中にキム・ヨナ選手が携帯を触るなど、失礼な態度をとることもあった

このような態度から、キム・ヨナ選手に対して他のスケーターからも厳しい意見が飛び交うこともあったそうですが、そんな中でも負けじとキム・ヨナ選手は浅田選手へ敵対心丸出しの態度をとっていたと言うのです。

しかし、このソチ五輪でキム・ヨナ選手がメディアに見せた姿は今までとどこか大きな違いがありました。

真央「おめでとう」キム・ヨナ「おつかれさま」

引用元:https://matome.naver.jp/

浅田選手が失意のどん底から見せたフリーの演技をキム・ヨナ選手も見ていたと言います。その姿に、「心が揺さぶられた。お疲れ様と彼女に言いたい」とコメントしたそうです。

今までライバル関係にあり、浅田選手に対する暴言や非常識な態度を示していたキム・ヨナ選手からのコメントには、賞賛の声も上がったとのことでした。

もっとも印象深いライバルについて、キム・ヨナは浅田真央の名前を挙げ、「浅田は日本でもっとも注目されていた。私も韓国で注目を浴びていたから、彼女の気持ちはとても理解できる。彼女がフリーの演技後に涙を流した映像を見て、私も心が揺さぶられた。お疲れ様と彼女に言いたい」と語った。

引用元:キム・ヨナの浅田真央に対する「敬意と配慮」の発言、中国ネットユーザーから「これこそ女王の風格」の賛辞

これに対し、浅田選手も長かったライバル関係がふと解けた瞬間だったのではないでしょうか。実は、浅田選手からもキム・ヨナ選手に言葉をかけているんです。

浅田選手が「おめでとう」とキム・ヨナ選手にコメントすると、キム・ヨナ選手からは「おつかれさま」と日本語で返ってきたと言うのですから、とても心温まるエピソードで嬉しいですね。

ソチ五輪で引退を決めたキム・ヨナ選手からの意外な姿に驚くとともに、2人が出会った頃のような純粋な気持ちに戻れた瞬間だったように思います。スポーツを通してお互いを認め合える2人の姿に感動です!

まとめ

  • コーチ不在や大好きだった母が2011年12月に急死してしまう出来事が続いた
  • ソチ五輪では女子史上初と言われた「全6種類、合計8回の3回転ジャンプ」を見事に成功させた
  • 4年間の乗り越えた苦悩の先にあったのは、諦めずにジャンプに挑み続け、ノーミスで踊るという浅田選手が目指してきたソチ五輪でのフリーの演技であった
  • 浅田真央選手の伝説のフリー演技後の感涙する姿には、会場にも大きな歓声と大きな感動があった
  • 今までライバル関係にあり、浅田選手に対する暴言や非常識な態度を示していたキム・ヨナ選手から意外にも「おつかれさま」と日本語で声をかけてもらえた

いかがでしたか。

浅田真央選手のソチ五輪のフリーの演技は、何度見ても感動してしまいます。バンクーバー五輪から4年間かけて準備してきた時に起こった苦悩は、浅田選手を大きく成長させ、私たちにも大きな感動を与えてくれました。

そして、同年代でライバル同士だったキム・ヨナ選手が見せてくれた意外な姿にも、感動を覚えました。

この先、どんな形で活躍していくのか、またはゆっくりひっそりと暮らしていくのかは分かりませんが、世界という舞台で輝き続けてきた浅田真央選手を心から応援していきたいです。

真央ちゃん、感動をありがとう!

コメント

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